20240507 映画『ロンドンゾンビ紀行』感想

名取さなの同時視聴で映画『ロンドンゾンビ紀行』観た。

ゾンビ映画バイオハザードすら観たことがなかった(グロいのが嫌だったから)ので、ゾンビ映画を腰を据えて観たのは初めてかも。結構コメディ寄り。

 

[あらすじ]

主人公兄弟は幼い頃に両親をなくし、祖父母に育てられたが、祖父母の住んでいる老人ホームは経営が危うかった。そこで、兄弟はいとこを連れて、銀行強盗を決行する。金は奪ったものの、銀行は既に警察に包囲されていた。もう駄目だと銀行の外に出ると、そこに警察の姿はなく、町はゾンビに占領されていた…

 

主人公のおじいちゃんがひたすらかっこよかった。退役軍人で、老人ホームがゾンビに包囲されてからも的確な指示を行い、キックで足がすごく上がっていた。

おばあちゃんと「わしがゾンビになったら躊躇せず殺してくれ」「私がゾンビになったときはあなたに殺されたいわ」みたいなラブロマンスをやっていてよかった。こんなことを言ってしまったからにはどちらかがゾンビ化して、決死の思いで殺すシーンがあるんだろうなと身構えていたけれど、どっちも健康なまま映画が終わってくれてよかった。

 

序盤はいとこ(?)のムキムキ黒人が無双していた。躊躇なくゾンビ化した親子を殺し、子供をボールのように放り投げていた。

 

ゾンビの足の遅さは杖をついている老人と同速だった。性格はゆうかん。

なんでこんな遅いゾンビに町が壊滅しかけてるんだよと思ったが、大切な人がゾンビになってたら殺せないよなと思い直した。

モブゾンビにもモブゾンビなりの人生があると考えたら、スコップで瞬殺されているゾンビがかわいそうになってきた。名取の同時視聴を見ている2800人のアイコンにもそれぞれの人生がある。

 

途中でフーリガン(海外の、サッカーに熱狂的なファン)のゾンビがチーム対抗で争いあっているシーンだけ急に脈略がなかった。監督がどうしても入れたかったんだろうな。特に伏線とかでもなかった。

 

 

20240505 阿部公房『人間そっくり』感想

阿部公房の小説を読んだ。高校生の頃に教科書に載っていた『赤い繭』を読んだとき、そのハイコンテクストで一見荒唐無稽にさえ思える話の展開に感銘を受け、良い作家だなと思ったが、それ以来安部公房の小説を読んでいなかった。

今回読んで、やっぱり安部公房の作品は自分の趣味に合っていて面白いと感じた。

 

主人公はアパートの一室に住んでいる冴えないラジオ作家。自分の持つ番組である「こんにちは火星人」は、探査機が火星に着陸するニュースを皮切りに現実と空想の区別がつかない視聴者によって批判を受け、打ち切り間近だった。そんなある日、自らを「火星人」と名乗る人物が現れる。はじめは気のふれた人間だと相手にしなかったラジオ作家だが、その世迷い言には妙に説得力があった。アパートの一室で繰り広げられる押し問答に引き込まれる作品。

 

この作品の良かった点は、最後の最後までアパートに訪れた男がただの空想病なのか、それとも本当に火星人なのかわからない点だ。

火星人は自分が火星人であることを主張するが、火星人の体内組成は地球人と全く同じで、火星土産は地球にある物体と似ており(例えば、火星の著名人の美術品は地球のプラモデルにそっくり)、火星の資源は地球から転送されたものを使っているため一見して違いはない。地球のほうが火星より重力が大きいので、地球は火星人には負荷が高いらしいが、あくまで主観的な感覚なので傍から見てわかるものではない。まさに「人間そっくり」なのだ。

最終的に彼は本当に火星人であり、更に自分自身も彼らの同胞、火星人であることを告げられ、主人公は火星へと連れ去られてしまう。しかし、次に主人公が起きるのは精神病棟であった。主治医にあなたは何者か、地球人であるかという問いかけに、主人公はついぞ答えることはできなかった。

 

この作品を読んで、この世界がいかに主観的であるかということが迫力を持って感じられた。

統合失調症では幻聴や幻視が症状として挙げられるが、当人にとってはそれは紛れもない事実であるのだ。そもそも、我々が見ている世界が間違っていて、統合失調症の人の見ている世界が正しい可能性だって全くないわけではないのだ。

自分の見ている主観的な世界は「確率的に最も高く、おそらく正しいであろう」という科学に立脚している。しかし、それが全くの見当違いであり、脳に間違っていることを正しいと感じさせるための電極が埋め込まれていたり、この世界が別の誰かが見ている夢の話である可能性だってあるわけだ(それでも、そういった可能性が今見ている世界から考えて非常に低く、科学がこの世界の道理を説明するのに一番もっともらしいため、自分は科学を信じているのだが)。

 

前、この小説を読んで、美術館に草間彌生の展示を見に行ったのを思い出した。

草間彌生は小さな丸を連ねてかぼちゃなどの形にする作品が特徴的だが、彼女は障害を持っていて、彼女から見た世界をそのまま作品にしているらしい。最初、そういう作風を意図的に作っていると誤解していた自分と、本物の火星人のことを演じているだけだと考えていた主人公が重なった。

創作者は病みやすい人間が多いと勝手に思っているが、多くの人が見ている世界と創作者の見ている世界にズレがあるのならば、そのズレに悩むのも必然的なのかなと思った。自分はそのズレのある視点を垣間見ることが好きなので、悩みながらも作品を公表してほしい。

 

この小説を読んで、「一般的に正しいとされている視点」と「主観的に見えている視点」にズレがあるというのは、今回作っているゲームのコンセプトとして使えそうだと思った。どんどんそういうのを取り入れていきたい。

20240502 村上春樹『アフターダーク』感想

読んでからこの記事を書くのに1週間くらい経ってしまった。村上春樹作品を読むのはこれが初めて。

村上春樹を読んでるってなんかかっこいい感じがする。毎晩そう思いながら読んでた。

 

モデルの浅井エリの妹である浅井マリは、3ヵ月もの間目覚めないエリとの生活に居心地の悪さを感じ、ファミレスで時間を潰していた。そこで、冴えないバンドマンづてにラブホでの暴力沙汰に巻き込まれながらも様々な人と出会い、マリは姉との関係について回顧する。夜が更け、そして明けるまでの物語。

 

作品内に「サイゼリヤ」とか「すかいらーく」とか固有名詞がじゃんじゃん出てくるから吃驚した。そういうのって「サイセリア」みたいなモジりとかしなくてもいいんだ。村上春樹レベルになるとそのまま出しても大丈夫なのかな。

 

最初、かなり喫煙!暴力!SEX!みたいな感じだったので、スカした小説だなと思った。

黒髪マッシュで、安物のシャカシャカしたイヤホンで椎名林檎の曲を「これがいいんだよ」とか言いながら聞き、大正レトロな喫茶店に好んで足を運ぶ文系男子大学生が好んで読んでそうとか思った。そういう大学生が村上春樹の本を好んで読んでいるのではなく、むしろ村上春樹の小説がそういう大学生を生み出しているのかもしれない。

 

ただ、中盤からまた違った視点から物語が始まった。これまでは浅井マリ周りの、現実に起こりうるような出来事を傍観者視点で見ていただけだったけれど、今度はカメラが浅井エリを捕えだし、非現実的な話が展開し始めた。謎の男が静かな部屋でエリの姿をじっと見つめていたかと思えば、突然テレビにノイズが混じり、浅井エリはテレビを挟んだ裏側の世界へと消えてしまった。ここで、自分は単なる大学生の憧れを綴ったような小説ではないかもしれないと思った。

この作品の「視点」というのも謎だった。読者の視点である作品の語りは、常にエリとマリの一連の出来事の傍観者という立ち位置で描かれる。だが、その語り自身もその視点に自己言及しており、例えば「私はその出来事を捉えるのみであり、その世界に干渉することはできない」といった語りが頻出する。読者は出来事の傍観者でありながら、そのカメラは物語の世界に存在している。つまり、読者はそのカメラ越しに物語の世界を覗いているという形になる。

 

読者の視点は果たして何視点なのか、浅井エリはなぜ3ヵ月もの間寝てしまっているのか、テレビの中の世界は一体何だったのか、ラブホで女性に突然暴行を加えた男性の動機はなんだったのか、そういった読者が抱く謎の一切は作品で語られることがない。深く考察すれば辿り着けるのかもしれないが、自分はそこまで理解することができなかった。

ただ、この小説は全ての伏線を回収しなくてもよいとする小説なのだと自分は捉えた。全ての非現実的な出来事を道理で説明するのではなく、あえて未解明のままにしておくことで、この世界にも同じような出来事があるのかもしれないという想像の余地を残しているように思える。この謎が全て解明されてしまったら、これは1対1で小説内に起こった全ての現象に説明ができ、小説の中の出来事となってしまう。だが現実はそうではない。個人の観測できる範囲の切り取られた情報しか私たちは知ることができない。本作品において語りの部分が誰のものでもない、小説の世界を覗き見るカメラの視点であったのも、全てを知ることはできないというのを強調する意味合いがあったのかもしれない。

最終的にこの小説において大きく物語が動くことはなく、エリは目を覚まさなかった。ただ、マリはエリについて今一度理解しようとし、エリは起きる兆しを見せた。

X(旧Twitter)で村上春樹がこの小説をポストしていたら、「結局エリはどうなったんですか?」「全部読んだけどよくわかりませんでした」みたいなリプが付きまくっていただろうな。この世界がXだけじゃなくて良かった。

 

途中からエリがこれからどうなっていくのか、というのが気になってページをめくる手が止まらなかった。作品を作る上で、この先の展開を知りたくなるような未解明情報のフックというのは大事だなと思った。村上春樹はすごい。

20240501 阪元裕吾『黄龍の村』感想

名取さなの同時視聴で阪元裕吾監督作の『黄龍の村』観た。以下、ネタバレ有り!観たいと思っている方は今から観てきて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初、調子に乗っている陽キャ共が因習村の理不尽な掟によって殺されていく話だと思っていた。

実際、ちゃんと途中までは村の因習の側面が前面に出されていた。

最初は優しいけど少しずつ本性を見せる村の住民たち、神にささげる肉にされる陽キャ、祀られている正体不明のオビンタワラ様…なすすべなく陽キャたちは蹂躙されていった。

途中までは。

突如陽キャグループの中から頭角を現し、村人を返り討ちにしていく復讐者たち。これまでの悲劇がウソのように淡々と復讐を遂行していく様子は笑いなしには語れなかった。

明らかに力を入れているアクションシーン。アクションシーンが一通り終わった後にあっけなく銃で射殺する長男。それじゃあアクションいらないじゃん!戦いの中で覚醒し、武術を習得するオビンタワラ様。でも普通に多勢に無勢でやられる。

最後のオビンタワラ様が助手の何でも屋スピンオフ、名取も言ってたけど見てみたい。

復讐シーンに入る前に陽キャが因習村への怒りから咆哮し、その後あっけなく射殺されるシーンも面白かった。一転攻勢するんじゃないんだ。

因習村系のホラーだと思ってたら予想外の展開が起きすぎだったので、名取の茶々も相まってとても楽しめた。良い映画だった。

 

(一転攻勢が淫夢由来の四字熟語であることをここで初めて知りました)

20240421 東京旅行(セララバアド)

東京へ弾丸旅行してきたぞ!
目的はセララバアド。分子ガストロノミーという一風変わった料理を提供している高級店。
オモコロでナクヤムパンリエッタさんと恐山さんがそれぞれ記事や動画で話されていたので、気になって友達と行ってみた。
 
朝から高速バスで5時間かけて東京まで行ったけど、これは夜行バスでもよかったかもしれない。友達が乗り物で寝られない体質だったのでずっと話していたけど、これは沈黙に耐えられないための会話な部分もあった。その友達と話すのは好きだけど、常に会話しなければいけない圧に晒され続けて必要に駆られて話すのは、疲れるのでよくない。あと、せっかくの昼を移動で潰してしまうのは勿体ない。今度からは長距離の移動には他の手段を考えよう。
 
バスを降りてからちょっと時間があったので、ポケセンに寄った。休日というのもあり、新宿から渋谷への道中はテーマパークの待機列のように人でごった返していた。
ポケセンは要所要所に大きめのポケモンのぬいぐるみがあってかなりよかった。みがわり人形は欲しい。
コジオの塩入れを買った。良い買い物をした。
 
道中で大きめの柱がいくつも立っていた。エンドラが回復するための柱。ケーも予約開始していた。
 
セララバアドに着いた。
 予約時間が近づくにつれて、点々と客が集まってきた。客の多くはブランドものの衣服を身に纏っており、そうでなくてもその立ち振る舞いから、私たちとは社会的断絶があるのだと容易に想像できる。
予定時刻になると、店員が扉を開けて案内する。道路の奥まった場所にある店への通路は綺麗に舗装されており、観葉植物で装飾されている。店員の礼儀正しい挨拶にたどたどしく会釈で返し、一番奥のテーブルで着席する。
 
 店の中はシックな木材の壁材が暖かい店内照明で照らされており、全体として落ち着いた雰囲気を感じさせる。ウォールシェルフにはいくつかの賞状や表彰盾が飾られている。ずらっと並んでいる多言語で書かれた本は、きっと全て店の紹介文が載っているのだろう。
提供される料理の珍妙さを楽しみに来た私たちは、早くも想定していたものとは異なる緊張を感じずにはいられなかった。
 
[桜]
桜をイメージした、というより桜そのもの。可食部は蕾を模したオリーブと、生ハムの巻かれた枝のような部位のみ。
食べてみると、枝の部分はおっとっとのようなパリッとしたスナックであり、生ハムと酒によく合う味であった。しかし、前評判として「口の中が広がる」「これまでに全くしたことのないような経験」というものを聞いていた分、私のこれまで食べてきた料理のデータベースから検索できる、理解できる範疇の料理だったので、少し残念に思う私もいた。とても美味しくはあったので、これからは真っ直ぐに高級料理の味を楽しもうと気持ちを切り替えた。

 
 次に食卓に運ばれたのは、「目覚めの涙」「芽吹き」「雪解け」そして「誕生」。大きめのプレートには若草が敷き詰められており、丸太の上に「目覚めの涙」、石の上に「芽吹き」…...といったように、点々と料理が盛り付けられていた。
 
[目覚めの涙]
一滴の透明なわらび餅のようなものが、丸太の上に置かれているレンゲにちょこんと乗っかっていた。
もちっとした感触の餅のものであろうという予測をしながらレンゲを口に運び、その涙を嚙んだ瞬間に、この店に対する期待はブワッと一気に膨らんだ。涙が口の中ではじけたのだ。一瞬、口腔を瑞々しく潤わせ、その後はそれを包んでいた被膜が残るのみであった。
 
[芽吹き]
ピンポン玉ほどの大きさの丸い苔から芽が顔を出していた。コロッケのような味がしたが、ほのかに新緑の青臭さを感じた。
 
[雪解け]
「雪解け」は容器の中に雪を模した何かが入っており、その中に枝の刺さったサーモンが埋もれていた。雪は少しづつ溶け始めていた。サーモンと一緒にその雪を食べた。雪の中に溶けて硬くなった芯のような部分があり、表現のためにここまでの拘りを見せてくれるのかと感動した。
 
[誕生]
「誕生」は透明なカプセルのようなものにヤシの木と、その木の下に可食部であるウズラ大の卵の巣が佇んでいた。
形は卵だったものの、食べてみると卵の味はせず、誕生をコンセプトにした未知の味が巣のパリパリとした食感と共に広がった。

 
[タコス 白魚]
おばあちゃんの家にあるような自然が描かれたブリキの容器の中にはシルクの生地が引かれており、その上に小ぶりのタコスが鎮座していた。
タコス、とは銘打っているものの、白魚と薄皮でさっぱりとした食感であり、これまでに食べたタコスとは異なっていた。この食べ物を形容するときに形の一番近いものがタコスであったために、タコスと名付けられたように感じた。
 
[春の高原]
ドーナツ状の皿に花が盛り付けられている。自分の感性がショボいせいで、トイレの芳香剤を強く想起してしまった。トイレの芳香剤は花畑をモチーフにしているものが多いので、本当は花畑の香りなんだと思う。

 
[春の大地]
春の高原が花畑だったので、春の大地は土なのではないかと友達と予想していたが、本当に土(畑)だった。この土が本当にすごく、友達が一口食べると「祖父母の家で育てていた野菜を洗っている」という記憶が思い起こされたのだという。自分はそれを聞いて半信半疑で食べてみたが、「祖父母に連れられて行ったゴルフ場で祖母と一緒につくし狩りをしている」記憶がまざまざと蘇ってきたので、本当に単なる食べ物を超えた経験だった。

 
[筍 蛍烏賊]
たけのこの器の中に筍とホタルイカの料理がある。筍がコリコリ、ホタルイカがくにゅくにゅした歯ごたえでおいしかった。

 
[桜海老 うど]
うどは「うどの大木」のうど。さわやかな味がしておいしかった。この辺りは純粋にまっすぐにおいしい料理が続く。

 
[春霞 あいなめ]
春霞。春の季節にたなびく霞。まさか仙人になるのか!?とか冗談で言っていたが、本当に霞を食べることになるとは思わなかった。
スープの具材がまず届いた。その具材の上には、「春香り漂う」と海苔で書かれたシートが乗っていた。次に液体が注がれ、暫く待っていると、ポットのようなものから霞が注がれた。気体だった。
まさか気体が注がれるとは思わなかった。「霞が晴れたらお召し上がりください。」レストランで聞く言葉じゃない。興奮したオタクの息で霞が晴れてしまって悲しかった。
バラバラになった「春香り漂う」が、言葉を使ったデザインアートのように見えた。

 
[ほろほろ鶏]
ほろほろした鶏。おいしかった。書きながらお腹が減ってきた。

 
[蕗の薹]
全然漢字が読めなかった。ふきのとう。
桜と蕗の薹のどちらかを選択することができたが、まだ知らない世界を体験したかったので蕗の薹にした。
ブリュレと焼き菓子とアイス。当然だが、それぞれ見た目通りの味がしたが、それと同時に吹き抜けるような若草の味が口の中に広がった。

 
[和紙・抹茶・不知火]
枯山水のケースの中に、和菓子が点々と置かれている。
和紙は甘く、飴のような感触で、舌ですっと溶けていった。
抹茶は見た目から想像もできないくらい皮が薄く、瑞々しかった。

 
これまでに料理の場で体験したことのない経験ができた。
帰りに代々木八幡宮に寄った。境内の入り口に猫が2匹いた。拝殿が妖しく光を放っていた。このまま今日がずっと続いてくれたらいいと願った。
代々木公園を経由して帰ったが、静かな公園から徐々にヒップホッパーのたまり場へと風景が移ろい、現実に戻ってきた感じがした。
帰り際に友達と、季節の変わり目に毎回来たいという話をした。行けると良いな。
 

20240401 デデデデ前編感想

デッドデッドデーモンズデストラクション(デデデデ)前編の映画を観てきた。大学生の頃漫画を途中まで読んでいて、面白かったので今回の映画化は楽しみにしていた。
 
トゥデイズヒカキンポイント:10000000点
 
中川凰蘭(おんたん)の声優があのちゃんだったので、期待半分不安半分だったのだが(あのちゃんは声優ではないため)、ちゃんとハマり役で、裏にいるあのちゃんの影を見ずにおんたんとして見ることができた。おうらんの発音はお↑ん↓たん(≒困難)だと思っていたけど、おん↑たん(≒温暖)だったので、そこは違和感あった。原作者のいにお先生の押しが強かったらしい。
 
ミッドランドスクエアシネマで観たので、音響がとてもよかった。正直、わざわざ映画館に足を運ぶ動機の半分くらいは、バカデカい音を楽しむためである(他には画面が大きい、スマホを触らないなど)。小型宇宙船をレーザーで打ち抜くシーンとか、身体に響いてとてもよかった。
 
過去回想で、門出が秘密道具をつかってどんどん暴走していくシーンが印象的だった。塾で仲良くなった小学生の門出とおんたんは、いじめられていた宇宙人をかばい、家に連れて帰る。その宇宙人は発展した地球の経過観察のために地球にやってきて、非力ながらも卓越した技術の秘密道具を持っていた。宇宙人に人間が悪い存在でないことを示すため、門出とおんたんは周りの小学生を巻き込みながら善行を積み重ねていく。
しかし、門出は自分の正義に固執し、そんなつもりはなかったのに秘密道具で罪なき人を殺めてしまう。その出来事を皮切りに、宇宙人に人間が良い生き物だと知ってもらうため、そして人を殺してしまったという事実から背くことができなかったために、自らの正義の下に悪人を裁くことに躊躇がなくなってしまう。
自分は正義の執行人であるという自負を持ち、変わってしまった門出に対して、おんたんは「どんな人間でも悪い部分はある、ぼくだっていじめられていた門出を見て見ぬふりした、だからまず私から裁け」と諭す。門出は自分の過ちに気付いたものの、既に戻れる一線はとっくに通り越しており、マンションから身を投げてしまう…という話。
 
これの何がいいって、現在の時間軸では門出は真面目で、おんたんはネジの外れた変な子であることがすごくいい。真面目な門出が自分の正義に固執して危ない人間になっていって、普段変な子であるおんたんが友達のためにマトモな一面を出すっていう、このねじれた関係がすごい。栄養価が高い。うれしい。
 
あと、おんたんは小学生時代は内気だったんだけど、いじめられている門出に対して、宇宙人がくれた秘密道具を使わずに自分を変えようとして、秘密道具を唯一使おうとしたのも友達を助けるためっていうのが門出と対照的でよかった。世界の救世主になろうとして、自分の傍にいる人のことが見えていなかった門出と、どこまでも友達を救おうとしたおんたん。
 
↑で書いた過去回想、全部捏造らしい。この過去回想に入る前のシーンが、宇宙人と会話するシーンだった。また、他のシーンの回想ではおんたんは学校でいじめっ子に歯向かっていたけど、この過去回想ではずっと門出を庇うことができないでいた。さらに、過去回想が本当に事実だとすれば、門出は人を殺し、さらには自殺しているはず。漫画ではこんなシーンなかったはずだし、漫画では宇宙人と同居していたはず。忘れてるだけかも。映画と漫画で展開が違うのかな。
 
門出とおんたんにはずっと仲良くしていてほしいのに次回予告が不穏だった。やめてほしい。
 
デデデデ、大学生のいう退廃的な「エモい」みたいな空気をずっと孕んでいて、人を選ぶような作品ではあると思うけど、ハマる人はすごいハマると思う。後編もすごく楽しみだ。
 
おんたん可愛すぎる
 
はにゃにゃフワーッ

20240224 佐藤青南『一億円の犬』感想

家族旅行の旅館内で最後まで読んだ。
ミステリーを期待して読んだが、ミステリー中心というより、正確に難があり生きずらい人の生き様を滔々と連ねたドキュメンタリーという印象を持った。
 
主人公の梨沙はこれまで自分を虚飾で塗り固め、傷つかないような生き方をしてきた。友人も恋人も、一度はそのステータスに惹かれて寄ってくるが、中身がない人間だと悟るとすぐに離れていった。
そんな彼女が理想の自分を演じていたSNSの漫画がバズって、出版社の男に本の出版を持ちかけられる。金持ちになって人生を変えられる千載一遇のチャンスだと思った彼女は、嘘に嘘を重ねてSNSでの煌びやかな生活を本当のものにしようとする。
SNSで飼っている設定の犬が手に入って、ようやく彼女は噓つきの自分とも別れられると思った。しかし、出版社の男も詐欺師であり、手元に残ったのは一匹の犬だけ。泣き崩れる彼女だったが、そこで彼女は初めて犬に嘘でない自分の気持ちを受け入れられる。
富も名声も手に入らなかったが、少し自分を受け入れられるようになった、という話。
 
この小説を読み進めながら、自分はこの主人公が重い罰を受けることを恐れていた。もちろんこの主人公は自分のことを本当に心配してくれる人を疑い、社会的地位の低い人間を心から見下す碌でもないやつだ。これが勧善懲悪の話だったら相応の報いを受けている。
ただ、どうしようもない人間でも一筋の希望が絶たれてしまう瞬間はいたたまれない。根は腐っているが、だからといってそういった人間が光を浴びず野垂れ死ぬべきだとは思わない。
 
今回の殺人で使われた凶器であるナイフは、「罰」の暗喩だと感じた。
今回唯一起きた殺人事件の犯人は、ごみの分別を周知したり犬のフンをそのままにしておくのを憤慨したりと、町の自治を進んで行う、この作品では珍しい道徳的に正しい人間だった。妻が霊感ビジネスに騙されて多額の金をむしり取られ、その報いとして詐欺師を殺した。いわば、嘘つきに対する制裁としての殺人だった。
主人公はその死体を見てしまい、さらに日頃の不道徳な行いが積み重なって犯人に刃を向けられることとなる。最後の方で改心をしかけていたものの、正直殺されても妥当だなと思った。
ただ、主人公はこれまで嘘をつくために使っていた血糊を使ってその場をやり過ごし、生き残った。
主人公がこれまでの全ての罪を清算することは本人の性格を考えてもしないだろう。しかし、罪を犯した人間でもそこで全てが終わるのではなく、前を向いて歩いていってもいいんだというある種の楽観がオチとしてよかった。
最終的にSNSは炎上したのも、彼女が受ける罰としては良い落としどころだったと思う。
 
昔観た映画『劇場版ポケットモンスター 水の都の守り神 ラティオスラティアス』で、悪役だったロケット団の2人がエンディングムービー内で、刑務所の中で次に盗む宝石を見ながら楽しそうにしていた。そのシーンを今でも覚えているのは、この小説の主人公のように、悪役でも前向きに笑えるその姿をなんかいいなと思っていたからなのかもしれない。
やってることは全然許されないけど。