散歩の途中で見かけたので、草間彌生展を見に行ってきた!
 
前の女性2人がずっと「輪郭線が~…」とか「主線の太さが~…」みたいな話をずっとしていて、そういった解釈は自分でしたかったので、できるだけ距離を置いて歩いた。
 
美術館でどのように振舞えばいいのかよくわかってない。
自分は「ふむ…これはこういった技法を使っていて、これが効果的に働いているんだな」といったようなものの見方よりも、最初に見たままの印象を大切にしたいと考えている。ちょうど何の知識もない子供が絵画をみるように。でも、そういったものの見方をしたいということが、既に型にはまったものの見方であるようにも感じる。しかし、分析的な見方ができるほど知識があるわけでもないし、ポリシーに反する。そうなると、自分はもう既にこの展示を楽しむことはできないのかもしれない。
最初はそのようなことを考えながら美術館を巡っていたが、見ていくうちに普通に感服したので、美術館だからと言ってそう難しく身構えなくてもいいのかもしれない。
 
 
以下、印象に残った作品
 
・ぶどう
最初にいいなと思った作品。点描だけで立体感がでててすごかった。草間彌生は色遣いが独特だが、ぶどうだけは瑞々しくてありそうな配色だったので素直にきれいだと思った。
 
・自画像
横に展示されてる人の絵がいぼいぼだったので、相対的にだいぶ綺麗に描かれてて、補正がかかっているなと感じた。
自画像はいくつかあり、当たり前だが人の形をしていた。しかし、最後の絵だけ心の闇を映したような、黒のペンで描かれた抽象的な絵だったので、「オチたな」と思った。あみだくじができそうだなと思った。
 
・かたつむり
クリアな質感が赤、青、黄色で再現されていて綺麗。草間彌生の図形から立体を形作る力はすごいと思った。
 
・花
どの絵も、おしべとめしべがうねうねしててキモい。性の暗喩?
 
・レモンレモネード
たくさん書いてた。オレンジジュースは0なのに。好きなのかな?
前の親子が、いくつかあるなかでもキラキラした黄色と水色の配色のものを見て「すてきね~」と話しており、確かにと思った。
 
・かぼちゃ
草間彌生は家でかぼちゃを育ててたらしい。たくさんあったが、そのなかでも「かぼちゃの神様」とか「ダンスかぼちゃ」みたいな名前の作品があって、面白かった。特に、「ダンスかぼちゃ」はぐねぐねしてて、楽しそうだなと思った。
 
草間彌生の描く人
↓みんなこんな感じだった。
human.png
・シャンデリア部屋
ここから立体。通路が真っ暗で、アトラクションのようでワクワクした。
真ん中にシャンデリアが配置され、その周りを鏡が取り囲む回廊のようになっていた。合わせ鏡になっていて、シャンデリアと自分がずっと奥まで続いていて圧巻だった。出口が一瞬どこかわからなくなりそうだったが、そのままもう少しだけ迷っていたかった。
 
・天国へ続く階段
こちらもたぶん合わせ鏡。梯子がずっと上まで続いていて、それを覗いた。イメージは容易にできるが、実際に目の当たりにするとこうも感動するとは自分でも思わなかった。
 
・合わせ鏡の部屋
人数制限があり、20秒だけしか入れない部屋。係の人が1グループずつ案内していた。
中は自分と上から垂れ下がる蛍のようなランプ、そして合わせ鏡があった。黄色や水色のランプが緩やかに明滅しながら自分と共にどこまでも果てなく続いていた。閉じた自分だけの空間という演出がこうも心地いいとは思わなかった。20秒経つのが嫌に感じ、ずっとここに引きこもりたいと思った。
 
他に、草間彌生の5分ぐらいのビデオもみた。
展示品を見ながら、こんな途方もない作業をして大変だろうな~と思っていたが、ビデオの中で草間彌生は、絵を見られるという顕示欲や絵ができていくのが楽しいという過程というより、今この瞬間の線を引く感触が楽しいと言っていた。
今までこの2つの軸でしか考えられていなかったから、とてもその感覚に驚き、それが絵を描くことの動機というのは根源的だなと感じた。自分も、絵を描くのが楽しいという感覚はそこからも来ているのかもしれないと思った。
 
こんなことから、草間彌生が絵を描く動機を自分から湧き出る内的なものだろうと考えていたら、草間彌生が世界の人々へ発信した、道徳のお手本のような文章を見つけ、ケッと思った。
 
でもその後、同じく草間彌生の書いた詩を発見した。
そこには、草間彌生が送ってきた苦悩の人生の中で、人気になったとたんに皆に求められるということが綴られており、人気となった芸術家としての責務のようなものを感じた。
また、どれだけ人気になっても死んだら1人であり、もうそろそろ自分も死に近づいているということが、死について前向きな気持ちで述べられていた。
今まで草間彌生を人気の芸術家としてしか認識しておらず、その前衛的な姿勢から、少しの反発心すら抱いていたかもしれないが、この詩を読んで、草間彌生が近所にいる、含蓄のある身近な老人の1人にすら感じられた。